第37回日本武道学会大会
剣道専門分科会主催 「第一回指導法研究会」
「木刀を使用する剣道指導法の意義を探る」

【パネラー】杉江正敏(大阪大学)
      大矢稔(国際武道大学)
      佐藤成明(本会会長)

  【日時】平成16年8月27日 16:10〜17:40
  【場所】香川大学 日本武道学会第37回大会
  【司会】木原資裕(鳴門教育大学)

提言1
「剣道の指導における形(木刀)練習の導入と問題点」  杉江正敏(大阪大学)
 江戸時代の「閑かなる強み」を重視する武士道転換を背景に、形の意義として、気の沈静化、沈着冷静が要請されるようになった。幕末期になると、それまで竹刀稽古中心だった道場においても、千葉周作らが形稽古の重要性と必要性を強調するようになり、形と竹刀剣術はあいまって剣術の内容を全うすると考えらるようになってきた。大日本剣道形について、高野佐三郎は「実際の仕合に応用し得るを主眼としてこれを制定せり」と書いている。撓競技においては有効打突の規定が難しく、当たればよいと理解されてしまいがちである。その点からも、刃筋と物打ち、鎬の効用を教えるために、反りのある木刀による教習は必要だと思われる。
形練習と竹刀剣道の関連は、1)形のみを練習する、2)形稽古を補完するために竹刀剣道を練習する、3)形と竹刀剣道を並習する、4)竹刀剣道のみ練習する、といった歴史的経過を辿り、現代剣道において要請される、5)竹刀剣道を矯正・補完するために形を練習するという流れに至る。5)の課題達成のために、木刀を使用して何が指導できるのか、整理が必要だと考えられる。

提言2
「木剣による技の習得課題-日本剣道形からのアプローチ-」  大矢稔(国際武道大学)
 近年、学生の竹刀操作はスピードが上がり、使い方が複雑化し太刀筋が無軌道になっていることが、「木刀による剣道基本技稽古法」への取り組みの背景にある。伝聞によると、先人はおよそ九歩の間合で剣を抜いて構え、一気に相手に接近して斬り合った、とある。先人が真剣を持って練りあげ、闘いの真実から生まれた九歩の立間合での有り様と、これを起点として前に進んでいく諸々の作用は、木剣によって執り行う日本剣道形の基調となっている。そうであれば、その背景にある心や気の作用までをも含めて技を考える必要があろう。日本剣道形の中には、技と木剣の遣い方の手順、打突部位がきちんと構成されており、このようなものの諸々の有り様をきちんと稽古できるのではないだろうか。日本剣道形で仕太刀が勝つ技は、抜き技と摺り上げ技に集約され、真剣では考えられにくい返し技と打ち落し技はない。学生に見る現在の剣道の状況において求められているのは、真剣による闘いを擬似体験している意識をもち、鎬の有効活用や通るべき道筋を通った太刀筋から打突をするということであろう。

提言3
「木刀による剣道基本技稽古法の成立事情」  佐藤成明(本会会長)
 敗戦後、武道が一括禁止となり、特に剣道に対しては非常に厳しい見方があった。そのような状況下、先達は剣道をなんとか次の世代に正しく伝え残したいと考え、過去に対する反省などの思索を経て、竹刀競技や学校剣道として剣道が新しく生まれ変わった。ところが戦後の剣道を学んだ選手達の試合を見るにつけ、「剣道はあれでよいのだろうか」との声が上がり、形を見直すことになった。が、日本剣道形が厳然としてあり、それに触れるわけにはいかない。そこで、全日本剣道連盟の中の学校剣道専門委員会の中で検討しようということになり、学校剣道基本形という名称で、木刀による稽古法が検討された。剣道が国際的に普及発展し、日本剣道形も大いに受け入れられるようになったが、一方で日本人には剣道形は昇段審査のための一科目であるという認識が多く、学生の試合でもテクニックや戦略に走りすぎるきらいがあり、再び形をきちんと重視しようという動きが起こってきた。竹刀は単なる打突の道具ではないという認識が必要になり、刀に代わるものとして木刀を使用した基本的な形の練習法が考えられた。稽古法をまとめるまでには、文部省傘下の学校剣道と警視庁剣道の違いなど様々な問題があったが、時代も下り、日本刀の操作法もプレゼンテーションできるようになり、木刀によって技をひとつひとつ確認することがやがては日本剣道形に正しくつながっていくのだとの脈絡を付けられるようになってきたのが、現在の状況である。

質疑応答
 学校剣道基本形成立時の状況についての質問について、実務は東京教育大学体育学部教育研究室が関っていたこと、形には打ち方、受け方、打たせ方があったこと、できるだけ木刀を使うよう考えたが竹刀でもよいとしたこと、試行錯誤を経て技の数が整理されていった状況などが明かにされた。また、竹刀ではなくあえて木刀を使うことの意義についての質問には、基本形策定の背景には難しい日本剣道形の導入としての意味合いがあったこと、現状の試合剣道の乱れに対する批判があったことなどの経緯が紹介された。  木刀を使用して何が指導できるのか、という本質的な質疑に対し、単に技術論にどとめることなく、形稽古と竹刀剣道の両立について、現代剣道がこれからどうあればよいかという観点から整理ししつつ議論を続けることの必要性があらためて確認され、終了した。