第4回剣道専門分科会シンポジウム概要
 日時:平成15年9月4日(木)
    午後3:30〜6:00
 場所:中京大学体育学部(豊田校舎)814番教室
    
第36回日本武道学会大会内

 メインテーマ:現代社会における剣道教育の意義
  講演テーマ:古武道と教育
     講師:坂田 新氏(愛知文教大学学長)
   司会進行:榎本鐘司(南山大学)

剣道専門分科会では、東海支部榎本鐘司氏の司会進行のもと、尾張貫流槍術を継承されている坂田新氏(中国文学専攻)を講演者に「古武道と教育」をテーマとしたシンポジウムが行われた。

貫流は管槍を使うが、防具を用いた地稽古を行うなど、現代の剣道とよく似た性質がある。防具はおおむね剣道と同じだが、より危険を避けるため、銃剣道に使われる「肩掛け」、ノド環、胴布団など槍用の防具を重ねて使う。稽古は、実際に防具を付けての地稽古による勝ち負けが主流になっている。

貫流の形は5本。幕末以来の稽古を続けていた人々が、明治期に武徳殿での演武を行う際に取り決めたもので、近代になって再編成されたものである。それ加えて伊東紀伊守以来の伊東流の形が7本残っており、両方の形をやることによって、伊東流の形から貫流の形に至る歴史的な流れがある程度分かる仕組みになっている。

形にはニ種類ある。ひとつは槍の遣い方を教える形。稽古の中でも使うことのできない危険極まりない技を、様々な槍の使い方の形として教えるものである。もうひとつは槍の必勝法を教える形。ある一定の状況下ではこうすれば必ず勝てる、ということを仕組んでいるのが形の一面でもあるが、槍の形稽古でも一定の状況下で必ず勝つ方法を形に仕込んでいる。

形の稽古には、防具を付けずに約束の動きをする場合と、防具を付けてやる場合とがある。初心の段階では、約束動作として「打ち」と「仕」に分かれるが、ある段階からは、その時々に応じて適切な対応が求められるような稽古をやるため、形稽古においても防具を付ける必要がある。ひとつの形の稽古に、各々何ヶ月もかける。例えば擦り上げて面を打つというひとつの形に、いろんな体の動き、足の動きで組み上げていって、ようやく「この形になったときには、これでいける」という必勝の形になる。したがって、五本の形のうち必勝の形は二本しかない。それも形を形としてやっているのでは、表面を素通りするだけで必勝法にはならず、いろんな使い方で2〜3年かけてやり、ようやくその形の全貌やバリエーションが分かり、なるほど必勝法だ、ということが分かるようになる。剣道の場合、現在の剣道の形は、全部が必勝法なのか、それとも剣の使い方を教えるものであるのか。古い時代の各流派の先生方が命がけで生み出した必勝法が形になっているのであれば、修練をしながらその再確認をする必要があるのではないか。

「古武道と教育」という点に関して言えば、武術の教育にはあまり教育的ではない面がある。先にしかけて勝つにはよほど力の差がないと不可能である。「柔よく剛を制す」とか小さい者が大きい者に勝つといった我々が憧れているようなことは起こりえない。しかし必勝法を求めていくとそれは「後の先」以外にないのである。現に槍の形は全部、後の先になっている。だが、これを初めから教えてしまうと双方が最初から相手が仕掛けるのを待つことになってしまう。身体能力の差を超えて勝つためには後の先の技でしか勝てないし形もそうなっているのに、稽古では「どんどん突いて行け、先の先で突け」とやるところに矛盾がある。これは勝負と体育法との問題でもあり、まだ整理しきれていない。また、現代の剣道において 、素肌の剣道では大変有効な袈裟斬りなどは認められていないが、これは甲冑時代の剣術を、妙なところで引きずっているからではないか。槍術においても、正面からの面の突きや胴の突きは今なお一本として認められておらず、同様の問題がある。一般武術としてもう一度剣道を見直すなら、有効打突の部位の見直しなどを含め、剣道自体や形の問題を考え直す時期にきているのではないだろうか。

シンポジウム最後の質疑応答は、防具の使用とそれに伴う禁じ手の有効性について質問がされ、それに対し、形というものが付随していて何らかの意味があるのなら、防具を付けての稽古と形の稽古とが直線的に並ぶようなものでありたい、という坂田氏の今後の古武道と教育に対する思いを答えとして締めくくられた。