平成17年度剣道専門分科会研究会

[演題]剣道競技における技知識の獲得過程


【演者】奥村 基生(筑波大学人間総合科学研究科)
【日時】平成17年12月2日 18:00〜19:30
【場所】明治大学 駿河台キャンパス
 

<<発表内容抄録>>

目的
 本論文では,剣道競技(以下,剣道)を対象にして,如何なる動作を遂行するのかを決定する反応選択の熟練過程を検討した.スポーツの反応選択では,環境情報へ受動的・瞬間的に対応する処理と,既有知識を活用して能動的に環境の変化を誘発する処理のいずれもが必要である.前者の受動的な処理は多くの研究で対象とされているが,後者の能動的な処理を対象とする研究は僅かである.本論文では,大学の剣道選手が戦術・運動技能として獲得し意識的に活用する技動作知識(いわゆる,技の既有知識,以下,技知識)を中心議題として扱い,反応選択の熟練差に影響を及ぼす既有知識,処理機能,思考内容などの相違を検討することを目的に4実験を実施した.

実験1:剣道における技知識の構造
 最初に,獲得している技知識の数量と構造についての熟練差を検討した.非熟練(競技経験約10年)・準熟練(約15年)・熟練(約15年)群の各5名を対象に,練習や試合の反応選択において意識的に活用する技知識について質問紙調査と実験室での実験をした.結果では,全群の選手が,競技の時間特性や作動記憶の許容量制限に適合するように技知識を手短な手順(3-4段階程度)で構成していることがわかった.また,熟練するに伴い,フェイント動作のように戦術的な意味を持つ自己と対戦相手の動作‐反応の関係性の知識を多く保持して技の構成要素としていた(非熟練群:約59 %,準熟練群:約70 %,熟練群:約84 %).この知識の保持は,技知識の数量的増加にも寄与していた(たとえば,面のしかけ技の平均は,非熟練群:5.8件,準熟練群:8.0件,熟練群:12.6件).さらに,最終的な打突動作に至るまでに,この知識を組み合わせることによって,精緻化された技知識の構造を構築していることが樹系図の記述によって明確になった.

実験2:剣道の技知識・運動技能獲得課題における反応選択の効率差

 知識の獲得と活用に関わる処理機能が異なることは明らかである.そこで,反応選択における技知識の活用に関する処理効率の熟練差を検討した.最初に,準熟練(競技経験約13年)・熟練(約14年)群の各8名を対象として,全選手が獲得している技知識と運動技能を確認した.そして,その知識と運動技能によって解決可能であり,対戦相手が攻撃してくる反応選択課題を設定して実験をした.結果では,簡潔な思考内容(準備動作‐反応‐打突動作)や文脈情報の活用の低頻度に熟練差はなかったが,熟練群は技知識の活用頻度が高く(準熟練群:約50 %,熟練群:約75 %),時間効率が良く(準熟練群:約10.2 s,熟練群:約6.7 s),技能発揮の得点が優れていた(準熟練群:約19.6点,熟練群:約29.5点).技知識の活用頻度における熟練差は,熟練群が能動的に技知識を活用することで何をするのかを前決定して,予測に基づく反応選択を頻繁に採用することを示していた.また,技知識を繁用することは反復学習効果を生み,知識活用のための処理機能の効率を向上させる.加えて,時間効率と技能発揮得点における差異傾向は,熟練群の反応選択の処理機能が対戦相手の攻撃のような環境干渉に対して頑健な耐性を備えていることを示していた.

実験3:剣道における反応選択の効率差

 現実環境での熟練差を確認するため,試合環境における検討を行った.準熟練(競技経験約12年)・熟練(約13年)群の各9名を対象にして,獲得している技知識を確認した後,各群同士の試合実験をした.結果では,技知識の活用頻度(準熟練群:約45 %,熟練群:約70 %),正確性(攻撃成功・失敗時における打突終了時(0 ms)から見た対戦相手の正防御開始時間の平均は,準熟練群:成功時:-37 ms・失敗時:-210 ms,熟練群:成功時:-26 ms・失敗時:-141 ms)に実験2と同じ傾向が見られたが,時間効率の熟練差は消失していた(準熟練群:約5.1 s,熟練群:約4.2 s).この熟練差の消失と両群における時間減少は,試合環境での時間制約の厳しさを示していた.その制約に加えて,技知識の活用頻度と正確性における熟練差は,実験2と同様に,技知識を能動的に活用することで予測による反応選択をすることと,迅速な知識活用を補助するために処理機能を向上させることの重要性を強調するものであった.

実験4:剣道の技知識獲得による反応選択の改善
 技知識を繁用しない選手は競技的に有効な知識を獲得していないため,知識活用の頻度が低い可能性が考えられた.そこで,戦術的に有効な技知識の獲得が反応選択を改善するかを検討した.そのために,実験2と3における熟練群の技知識を準熟練群(競技経験約13年)が獲得する3週間の認知訓練を実施し,さらに試合実験をした.結果では,統制・試合観察・知識獲得群の各6名の中で,知識獲得群は訓練後,試合についての質問紙調査において技知識を活用した反応選択の割合が約15 %上昇し(訓練前:約53 %,訓練後:約69 %),効果的な反応選択の割合も約10 % 増加していた(訓練前:約41 %,訓練後:約53 %).また,新しく獲得した技知識は約6技種であったが,それを活用した反応選択は全体の約50 % に及んでいた.加えて,試合の分析では,攻撃成功確率を高める対戦相手の打突終了前100 ms以後の正防御反応開始の割合が増加していた(訓練前:約32 %,訓練後:約42 %).これは,短期間であっても有効な技知識を獲得する訓練が,準熟練群の反応選択を改善したことを示している.また,これらの改善の方向性は,実験3までの反応選択の熟練過程についての主張と一致するものであった.

まとめ
 剣道における反応選択の熟練のためには,戦術的に有効で多様性のある技知識を手短な手順で精緻化された構造によって獲得すること,実践環境ではその知識を能動的に活用して予測による反応選択を習慣化すること,そして,その知識の繁用によって知識活用のための処理機能の効率を向上させることが重要であると結論づけられる.剣道の実践者と指導者は,獲得している技知識と採択している反応選択の現状を把握し,本論文の結果と比較することによって,反応選択のための明確な学習指標と評価基準を確立すべきである.

付記:本論文の作成に当たり,指導教官として長年に渡りご指導を賜りました筑波大学の吉田茂教授,ならびに数々の貴重なご指摘を下さいました多くの方々に心よりお礼申し上げます.