■さて大会の準備段階では、今回初めて、2ヶ月前に事前の組合せ抽選を実施した。奇異に思われるだろうが以前の大会ではそうしてこなかったのである。それは大会直前まで参加可否が明確にできない国に配慮してのことだった。そのため組合せをプログラムに載せることができず、始まってみなければ観衆には対戦さえわからぬ状態で、各方面から不評であった。また前日の監督会議(組合せ抽選会)は混乱を極めるのが常だった。今回その問題は解決されたが、参加を表明していながら資金難などで直前に取り消した国や選手の取り扱いに新たな問題を残した。これは単に不戦敗とするだけで全て解決されるものではない。試合で予選グループでの対戦不均衡が生じるのもさることながら、宿泊先の取消料を巡り主管国−不参加国間での経済的負担のトラブルにまで及ぶことである。大会参加までには従来より「予備エントリー」、「最終エントリー」の二段階を踏んできているにもかかわらず直前不参加国が出る状況は、問題意識の「お国柄」(金はなくてもとりあえず申し込んでおけば何とかなるだろうという思考?)と言ってしまえばそれまでだが、今回もやはりいくつか直前キャンセルが起き、その理由が、資金難ばかりでなく不注意なビザ手配の遅れや当該国連盟内の利権紛争であったりするのは、極めて残念である。
■財政面などの支援のあり方や各国連盟の責任の持ち方を含め、今後の世界大会では、事前組合せ抽選そのものの問題だけでなく、そこから想起される関連諸問題や剣道関係者の国際的な成熟程度も意識していきたい。
■対戦組合せが事前に公開されたことも含め、今回は試合結果がインターネットを通じて速報される体制も強化された。ただそれでも、報道関係への広報サービス体制はまだ十分と言えなかったのではないか。従来から剣道界の最も苦手とするところである。
■広報の不十分さは大会スポンサーを付きにくくし、それが主管国の苦しい大会運営の遠因となっている。実際のところ主管国は必要な資金調達に苦労するのが現実で、参加各国への負担増を望めない以上、これからはより多くのスポンサー集めが必要条件となることは避けられない。
■資金確保と並び剣道が日本の外で行事を実施する際に難題となるのは必要人員の確保である。日本国内であれば作業内容を熟知し互いに意思疎通できるスタッフの確保は容易だが、日本以外でこの規模の大会に備えそれができる国は数えるほどしかない。イギリスも例外ではなく、その解決策として英国剣連は欧州各地からボランティアを募集した。
■ただ人数は十分揃ったが、ボランティアの指揮系統が明確でなかったため、十分に機能・活用されない憾みがあった。会場設営が完了してないのに、多くの者が稽古会に行ってしまうという、日本では考えられないような現象も起きた。また日本人補助員との連携やコミュニケーションが不十分なために生じたトラブルもあった。人員の確保と系統的組織化は不可分であること、必要十分なマニュアルを用意すべきであること、事前に互いのコミュニケーションを確立しておくことの必要性が察せられた。
■他にも日本国内では当然になされることが海外では必ずしも順調に進まないことがある。準備段階で、土足使用が当たり前の荒れた会場床の整備、必要な備品の種類と数量、計時の仕方、表示の仕方、ラインテープの張り方まで指導の必要なことが今回も生じた。あらためて、世界大会を主とした国際大会の準備運営手順については標準化したものを作成する必要性を感じる。
■さらに国際剣連(IKF)加盟国が増加し多様な言語への対応にも迫られるようになった。IKFでの公用語は日本語及び英語と定めているが、日本語も英語も解さない剣士の参加が増加していることも事実であり、重要な伝達が必ずしも理解されてない現象が起きている。また剣士のみならず、試合中に観客席からフラッシュ撮影が頻繁に繰り返され、「判定に支障が出る」と審判員が観客に直接注意する一幕があった。英語で何度も館内放送したにもかかわらず改まらないのは、どうやら英語を解さない観衆の仕業とわかり、急遽各国語のできるボランティアが放送席に集められて数カ国語で注意の放送が繰り返された。国際剣道ももはや日本語と英語のみでは文化的な真意を伝達するに不十分な時代となったことを象徴する出来事であった。
■欧州のスタッフはまだ英語だけでもある程度のコミュニケーションが取れたが、次回の台湾ではそうはいかず、言語やコミュニケーション手段については十分に配慮した準備を進めなくてはなるまい。
■ところで、剣道の世界選手権では、前回大会から、スポーツ一般の世界的イベントに見られるような表彰式での表彰台、金銀銅メダル授与、国歌吹奏、国旗掲揚が撤廃されているのをご存知だろうか。また競技日程中に選手が参加する合同稽古が置かれるような企画は、他の「スポーツ競技」では稀有だろう。今回はさらに開会式での開催国国歌吹奏や選手宣誓を廃した。これらは実は、スポーツ一般に見られる国対抗色の強さや勝利至上主義と一線を画す方向性を明確に打ち出したい日本剣道界の意向を反映したものだ。
■団体戦の予選グループ対戦方式(各チーム総当たりでなく2対戦のみ)による決勝トーナメント進出決定法が必ずしも各チームの実力を反映せず不公平だとの指摘があるが、これも、タイトな日程に何とか試合を収める苦肉の策であると同時に、「昇段審査の立ち会い方式」を準用することで勝敗や優劣だけに囚われがちな傾向を敢えて問うことも意図しているのである。
剣道もとかく「スポーツの論理」に流されがちな昨今だが、今後も武道としての剣道の精神性や理念が維持されるかどうかは、国内よりも世界大会を通じて海外から問われることになるのではないだろうか。
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